Friday, May 2, 2014

オデッサで起きた衝突

つい4日前までいたオデッサでこのようなことが起きるとは。。。

美しい街が壊されていくのは本当にたまらない。そこに住んでいる人はなおさらのこと。

オデッサ在住の友人に話を聞いたところ

現政権支持派の集会参加者を親露派住民(*といっても住民なのかロシアの工作員なのかはわからない)が銃と火炎瓶で襲った。
右派(過激派ナショナリスト)が労働組合の建物(親露派住民が住んでるところと思われる)に放火して住民が死んだ。

もはや、誰が黒幕でとかそういう次元ではないと思う。もうカオスすぎて、、、
1つ確かなことは国民が地域(親露派住民が多いところとそうでないところ)によって分裂して統合されている状態ではないということだろう。ロシア系住民といっているが何をもってロシア系といえるのかわからない。親露派といえどウクライナ国民なわけではあるわけだし。

報道を見ていても何がどうなっているのかわからない。

とにかくキエフにいても思うのだけど、一般市民の生活は穏やかそのものであるんだけど、ときおりこのような暴動が起きて人々の平穏な生活が脅かされるのは本当に残念。

Thursday, May 1, 2014

トルストイじいさんをなめてました、ごめんなさい。

現在首都のキエフに滞在している。
さすが首都ということで人も多く街を歩く人たちもどことなく忙しそうな感じがする。そして首都なりの活気があると感じる。

キエフに来て少し落ち着いたので、久しぶりに読書をしてみようと思い、ロシアの小説家トルストイの「イワンイリイチの死」という本を読んだ。

いや、なぜ旅中にトルストイというチョイスかというと、ウクライナはロシア語圏(場所によるが)なんだから、ウクライナの友達に「俺トルストイ読んだことあるよドヤッ:)」てできるかなという打算的な考えで選んだわけである。

右の写真のトルストイの堅物おやじぶりを見ても一気に読む気失せるものではあるが、ドヤ顔したいがためにとりあえず必死で読んでみたのだ。

ちょっとした泊付になるかなという浅はかな思いから読んだんだけど、この小説は久々のあたりだった。

一言でこの小説を説明すれば、「死ぬ前の人の感情を追体験する」小説と言えると思う。トルストイが老齢になった時に書かれた小説とのことなので、トルストイ自身、近づきつつある死を感じている時期に書かれたものなのだろう。

なぜトルストイはここまで人の感情をわかりやすくかつ以上に鋭く描けるのだとろうと感心してしまった。

この小説はイワンイリイチというロシアのとある裁判官が突然不治の腎臓の病に見舞われ、その直前の彼の心情が描かれた小説である。
イワンイリッチは世間一般で言われる職業的な名声はすでに十分に獲得している人間であるのだが、ある日突然病に犯され、次第に体が弱っていく。その中で必死で治療法を試していくのだが、それにも関わらず弱っていく体、とうとうイリイチはこう考えるようになった。

 「盲腸だと、腎臓だと!いや問題は盲腸でもなく、腎臓でもない。要は生か、それとも死かなんだ。そう今まであった命がこうしてなくなろうとしている。なくなろうとしていて、しかも自分にはそれを止めることができない(省略)私が存在しなくなるとしたらいったい何が存在するのだ?何も存在しなくなるだろう(省略)。。。。。」

そして、病気に対して死を感じている自分とそれに共感してくれない周りの家族の間に溝を感じるイリイチ。

「イワンイリイチを一番くるしめたのは嘘であった。つまり彼は単なる病気であって死ぬわけではないから、ただ落ち着いて治療に専念していればなにかとても良い結果がでるだろう、といった、なぜかみなに受け入れられている嘘であった。彼にはよくわかっていたのだー何をしようと効果はなく、ただ余計に苦しい目にあって結局は死ぬだけだと。だからそうした嘘が彼を苦しめた。お互いにわかっていることを認めようとせず、こちらの症状がいくらひどくても嘘をつき続け、おまけにこちらまでその嘘に加わるように強いるー」

そして死の直前にはいったイリイチの感情を表現した次の文章も秀逸

「彼は感じていたー自分が苦しむ理由は、この真っ暗な穴に吸い込まれようとしているからだが、しかしもっと大きな理由は自分がその穴にもぐりこみきれないからだと。穴に潜り込むのを邪魔しているのは自分の人生がよきものだったという自覚であった。」

穴に潜り込むのを邪魔しているのは自分の人生がよきものだったという自覚であった。という文章には考えさせられる。そもそもよき人生とはなんなのだろうか。それでは自分の人生が良いものではなかったと思える生き方をしいれば死ぬ際には後悔なく死ねるのだろうか?!それに答えはないのだが、、、
同時に当然ではあるが僕自身にとって死というものはまだまだ他人事としか捉えれていないことを認識させられた。

しかし、「当たり前の生活」が当たり前ではないことも改めて再認識した。そしてどうせ死ぬのだから、誰がどう言おうが自分の生きたいにように生きて死ぬという人生を送りたいと感じた。て完全ににpeople see what they expect to seeというシーザーのことわざ通り、この本を僕のみたいように解釈してるんだけど、、、

トルストイとかぷっ頑固おやじが書いた理屈こねておもんなさそうとなめてたけど、相当におもろいし、刺激が強い毒物みたいな読み物だ。

Saturday, April 26, 2014

都市を比較して見えたもの―オデッサよりウクライナ全体を眺める


現在オデッサというウクライナの中では有名な
保養地かつ最大の港都市に滞在しております。










港ということで様子見がてらにビーチに行くと、まだ夜はセーターを着ないと寒いという気候に関わらず、水着姿の人がちらほら日光浴を楽しんでいます。なんとヌードの人もいるではないか、、、














ウクライナ各都市が持つ多様性


さて、これまではザポロジェというウクライナではたしか5番目の規模の都市にいましたが、
またオデッサというところはザポロジェと大きく
異なる都市であるな~と感じさせられます。

ザポロジエは工業都市

正直、ザポロジェは旧ソ連時代から続くthe工業都市であり街の作りやこれといって歴史的な建物がないなど素朴な町であるという印象をもっていました。ザポロジェに住んでいる友達と話していると、彼らは自分の生まれた土地であるのでもちろんザポロジェを好きではあるけど、見所のないところを少し悲しんでいたように思います。

オデッサは文化集積度が高い

歴史もしくは文化的な集積を感じさせられるものが都市に存在していることってそこに住む市民にとって重要なことではないだろうかと再認識しました。
これは都市というだけではなく範囲を広げて国に対してしても言えることではあると思いますが。
旅をしていると日本には豊かな遺跡であるとか食文化や武道であるとか結構おもろいもんたくさんあるなと感じるからです。
年金の負担等々いろいろ問題あるにせよ、現時点では日本人であることによってちやほやされる等、相当な恩恵(?)を受けることができてるわけであり、日本人でよかったなと認識させられます。

話がそれましたが、
オデッサはというと中心部に行くとオペラ劇場があったり、ヨーロッパ風の建物がたくさんあったり、映画「戦艦ポチョムキン」での虐殺シーンで有名なポチョムキンの階段があったりとギリシャ時代からの港としていくつか歴史の遺産があったり、リッチな人が集まっているレストランがたくさんあったりと
非常に豊かな生活をしているなと感じました。
そして物価も他都市に比べると少し高い。


オデッサは穴場かも

将来こういう穴場的な(もちろんウクライナやロシア人からすると有名だし穴場ではないけど西欧やアジア人からすると認知されてないだろう)とこに住むのもありなんんじゃないかなと思います。

次なる都市はウクライナの首都のキエフです。キエフのあとは芸術の都市リヴィヴ、そのあとも当分いくつかの国を飽きるまで回ろ
うかと思い
 ます。


Saturday, April 12, 2014

ダンスを習うならウクライナ

こちらの滞在中にウクライナ人の消費動向調査という名目でサルサダンスの教室に通っている。単に踊りたいだけだけどw

サルサをはじめたのは1年半ほど前のインドに滞在していたときからであり、インド人の講師より基礎中の基礎であるステップを習い、その後日本の大阪でターンなどの基礎的なテクニックを教えてもらい最低限の踊り方は習得した。

今回、ここウクライナでも教室に通ってみると面白いだろうと思ったので始めることにした。講師はキューバ人男性とウクライナ人女性だ。
前者のキューバ人は5歳からサルサを習っているとのこと。そしてキューバより離れたこの地ウクライナでサルサ教室を開始したそうだ。
以前にも書いたがここの人々は非日常を求めていると感じていたのだが、このサルサ教室の繁盛ぶりをみてやはり確実にそうだろうなと感じた。

基本的にウクライナのサルサ教室は安い。8回(1時間)で1500円ほどである。日本であれば10000円くらいするのではないだろうか。

もしダンスを習いたい方はウクライナで修行するのもありではないだろうかと思うwサルサ以外にもおそらくバレーダンスなどあると思うが、そちらも格安で習えると思う。
アウェー感は少々いや結構あるが、こちらがフレンドリーに話しかければ基本的にみんな優しいです。

Saturday, April 5, 2014

ヘルシー志向

僕がホストファミリーや友達と「食べ物」について話していて感じることに
ウクライナ人のヘルシー志向の強さがある。

スーパーに並んでいるもので安いものはヘルシーではないという認識が
ある。 例えばソーセージであれば、あれは肉ではなく肉ではないケミカルな材料をいっぱい混ぜてるから安いんだ。と。
また、路上の出店のような形式でシャルマというトルコ料理を売っているのだがそれについてもヘルシーではない、悪くなった肉を焼いて使っていたり、ネコ、犬などの屠殺された野生動物の肉を使っているから食べるな。と。
値段はだいたい150円から~200円くらい だろうか。シャルマはケバブのこんがりしてないバージョンみたいな感じか。見てのとおり某ファーストフードの逆さのシンボルマークが目印。


僕はシャルマが好きでいつもよく食べているんだけど笑

彼らが言っていることがどこまで正しいのかはわからないが、
その食に関してのヘルシー志向には日本人以上な気がする。
ただ僕が話す相手は基本的に大学生であったりかなりしっかりした教育
環境で育っている人達であるのも考慮しないとダメだけど。

ただ、こういう食に関するヘルシー志向が存在していることは確かであり、
それば高いこともこの地での寿司バー成功要因ではないだろうかと思う。

話ははずれるけど、マクドナルドのミミズ混入してるというデマ(?)が日本
で10数年前にはやったことをこのシャルマの肉の話を聞いて思い出した。




Friday, March 28, 2014

非日常に対する飢え

先日記事に書いたように、ここには本当にたくさんの寿司バーがある。

少なくとも1kmに1件はあるだろう。
この地域で展開されているちょっとしたチェーン店のようである。名前は「TOKI」「SENSUYAKI」などである。どう言う意味かはわからないが。その多くはなぜかアメリカン、イタリアンレストランと同居しており、イタリアンと和食というメニュー二つが提供されることがほとんどである。このように同居させることによって何をしたいのだろうか?!

・バリエーションを豊富にできるから。まあこれは当然かも。
・敷居をさげれるから。海外寿司委員会認定証みたいなものが壁にかかげてありくそこの資格を取得したのが1年半ほどまえとなっていた。まだ普及まもないようだ。当初、和食は認知度がそこまで高くないから、知名度が高いイタリアンに便乗して料理を出すような形でそれが受け入れられやすいステップをふもうと試みのかも。

寿司バーを友達同士の雑談に使っている場合もあればカフェ感覚で若い女性が食べに来ていたりもする。僕の主観ではあるが、寿司バーが広まったことには、人々の非日常なことに対する飢え、欲求が要因としてあるのではないだろうか。それはここに滞在して生活を観察していて凄く感じていることだ。またそれに関しては違うトピックで書いてみたいと思う。

この地域の飲食店のバリエーションを見てみるとまだ豊富にあるようには思えない。そのような中で、寿司バーは落ち着けてくつろげてかつ少しおしゃれな空間づくりに成功している飲食店であるように思える。そして、それは日本の寿司屋とはまた違う感じの良さをもっていると思う。



右の写真は突き出し(にんじんのほそぎりにみりんを足して炒ったようなもの)




謎のヌードル(あさり、うどん、めんつゆ、パプリカなどで構成されている)













店はこのような落ち着ける雰囲気となっている。















寿司は普通においしい。ただし少し小ぶりなわりに値段が高いようにかんじる。サラダ巻はパプリカ、キャベツ、人参で構成されている。
ここで入手できる食材でうまくローカライズされているといえる。








ネギトロ巻的なもの。普通においしい、しかしこれも値段の割に量が少ない。凄くこぶりなのだ。30グリブナ(300)円くらいでこのひと皿の量。ウクライナで300円でこの量だと少し高い料理の部類となる。











このようにローカライズされた寿司を目の当たりにするのは楽しかった。


Monday, March 24, 2014

海外放浪ってする意味あるんですか

ていう質問をたまに受けることがあるんだけど、正直意味ないと思いますw
http://sonicch.com/archives/21869573.html
僕はこのひとみたいにガチで放浪をしてるわけでもないけど、放浪するのが好きなので、実際に2年間休学してバングラディシュやインドで働いたり東南アジアを中心にブラブラ回って自堕落ではあるもののいくつか興味のあることを自分の心(心の声ではなく雑念かもw)に忠実にやってきた。自分の好奇心に沿ってしただけで、人のためになることではないけど。

その結果なんらかのスキルがついたかは甚だ疑問だけど、さまざまな国の人の生き方を見てみて頑張って生きていこうという活力だけは獲れたと思うw金も溜まってないし、それだけしかえれてないわけではあるけど。

皮肉なことだけど、海外放浪に意味を見出したい人にとっては海外放浪は意味がないと思う。放浪って実社会で評価されるもんではないし、就活で+になる要素ないし後で後悔するだけだと思う。

僕自身、これといって看護師とかそういう実用的な資格をもっているわけでもなく、帰国後ドロップアウトしてもおかしくないし、というかもうすでに新卒で就職することをやめた時点でドロップアウトしてるし。

ただ、現在の日本でならばその立場を気にしないかぎりはフリーターでも生きていけるし、バイトでも必死でやれば結構な額を貯金できるし、資金をためて海外に出てビジネスをすることは案外いけるんじゃないかなという実感を得ることができてきている。

今後どうなるかわからないですが、頑張って生きていくしかないなとひしひしと感じてますw